卒業生のひとこと
ここでは、私たちの母校から社会人へと旅立った、諸先輩方の現在の近況、
後輩達へのアドバイス等を紹介していきます。
坂口 裕幸
昭和53年 電気工学科卒業
坂口 裕幸
あれは昭和49年春、近畿大学九州工学部入学式の前日に本大学の先輩から1本の電話がありました。

先輩「オイ坂口、明日良いバイトがあるバッテン、都合はどげか?」
私 「明日は入学式があるき、無理です」
先輩「入学式やら行かんでもヨカ!先輩命令やき、出てこい」

高校時代から縦社会で過ごしてきた私には選択の余地はありませんでした。結局バイトのために入学式は欠席。その後、改めて大学に行った日、学生課から呼び出されて欠席した事についての詰問(と言うより尋問?)。初日から大目玉を食らい、めでたく学生課のブラックリスト第1号に決定。最初からMistakeな出だしとなりました。それ以降、授業は代返を頼んでバイト三昧の生活。何せ、そのアルバイトとは当時のトップアイドルであった、桜田淳子、郷ひろみなどステージのバックバンドとしてトロンボーン演奏。高額な収入も魅力のアルバイトでした。

当時在籍していた九州工学部の吹奏楽部は、トロンボーン奏者の先輩3人が共に高校時代に 全国大会出場の経験者。楽譜を練習なしで、いきなりステージ初見で演奏できる全国トップクラスの技術を持つユニットでした。バックバンドのバイトが無いときは劇場のバンドのバイトをしたり、先輩は博多のキャバレーのフルバンドをやったりと、まるで本職のバンドマンの様でした。当時は大阪の本学の吹奏楽部も有名でしたが、一度九州に来た時に練習を聞いた際、トロンボーンユニットに限っては私達のほうが何枚も上手だと感じる程でした。そんな調子でバイトしては遊ぶ日々で勉強は二の次、当然の事ながらテストになると毎回大慌てで優秀な友人のノートを借り、栄養ドリンクを何本も飲みながら徹夜の連続でした。でも、まあどうにか切り抜ける事が出来ました。(優秀な友人に感謝)4年間の大学生活を過ごしたある日、卒業旅行で友達と四国に行った際に突然自宅に大学からの連絡。「卒業式のリハーサルに出て来る様に」との事でした。急遽日程を繰り上げて飯塚に戻り「何のリハーサルかな?」「面倒しいなぁ」と思っていたところ、タイミング悪くバイトのお誘い。当然ながらバイトを選択した私でした。後日卒業式に出席したところ優秀な友人曰く、先日のリハーサルは、○○○賞を頂くためのリハーサルだったとの事。欠席した私は受賞取り消しとなりました。

私の大学生活を改めて振り返ると、<Mistake>入学式をバイトで欠席して大目玉。<Arbeit>講義サボってアルバイト三昧。<Accident>○○○賞もバイトでさぼって取り消し。全く、今思えば何をしに大学に行ったか分かりませんが、その後の人生に於いては、この4年間の経験は何か大きな財産となっている様な気がします。

最後になりますが当時の先生方、ご迷惑をおかけしました。本当にごめんなさい。
清水 冴
平成20年 建築・デザイン学科卒業
株式会社 松隈写真館 勤務
清水 冴
在学中はあまり優秀な生徒ではなかったんですが、周りの人達に恵まれていましたね。
勉強について行けず、入学して最初の3ヶ月くらいで辞めようかと思っていましたが友達や先生が良くしてくれて、皆に支えてもらったおかげで卒業できたのだと感謝しています。

卒業後は学科とは全く関係の無い食品の成分分析などの仕事をしていましたが、モノ作りや人と関わる仕事がしたいと改めて思って4年前から写真館で働いています。仕事として全く経験はありませんでしたが、出来るかどうかは分らないけれどもやってみたい!と言う気持ちが強かったですね。おかげで何でもやりたいと思う事は出来るんだ、という自信になりました。?まさか写真の仕事で大学に戻ってくるとは思ってもいませんでしたし。帰ってこれる場所があるなってイイナと思いました。

社会に出て感じたことは「健康が大事」と言うことですね。規則正しい生活や精神のバランス。自分の状態が良くないとお客さんにちゃんと接することが出来ないと思っています。そして自分の時間を持つこと。ボーッとする時間や楽しいと思える時間を持つなど、仕事以外の経験が無いとお客さんお気持ちに寄り添えず、ただ事務的に仕事をこなしていくだけになる気がします。オンとオフを切り替えるための一見どうでも良い時間が大切なんじゃないかと思っています。

学生時代から何かあっても「なんとかなる」と言う気持ちは持っていました。私は追い詰められないとなかなか出来ませんが(笑)とにかく大丈夫、その気になれば何でも出来る!という気持ちがあれば、社会に出ても意外となんとかなるものです。在学生・新社会人の皆さんも躓いたり悩んだ時は思い出してください。
高松 歩美
平成26年 建築・デザイン学科卒業
平成27年 大学院卒業
高松 歩美
在学中より作品制作や個展活動を行なっている同窓生です。

■大学生活はいかがでした?
学部生の頃は卒業するためだけの授業を受けていた感じでしたね。就職活動しないで、その日その日を過ごしていると、あるときに金子先生とゼミの川上先生から「社会に出て与えられた仕事をするよりも、もう少し自由にしてはどうか?」と言った後押しもあって、大学院へ進む事にしました。

川上先生の方針で自分のやりたいテーマを勉強できました。初めて外で展示を開いたのは3年生の時で、以降、飯塚市だけでなく久留米・田川・福岡などで展示。最初は先生に助力頂いたんですが、自分の力で展示したいと思って、それ以降は他の人の作品を見に行った会場先や、個展した場所でのご縁で展示出来るようになりました。

■印象に残っている思い出は?
震災支援保養合宿のワークショップに参加して、小学生クラスの芸術担当を受け持ちました。 子ども達に先生と呼ばれたり絵を教えたりと、展示以外の活動が出来たというのがすごく印象に残っています。

実は子どもが大好きで保育士にあこがれていました。中高生の社会体験学習も保育園を選んだりして。でも結果的に選んだ進路は建築・デザイン方面でした。そんな中で、まさかこういった別の形で子ども達に関われるとは思ってもいませんでしたね。道は一つじゃないんだなと改めて思いました。次は自分に何が出来るんだろうという、自分の可能性に気付かせてくれた体験でしたね。おかげで作品を通して、みんなに伝えること、自分にやれることが増えた気がします。

■今後について
まずは、社会人としてちゃんと仕事について両親を安心させたいです。学生から社会人への切り替えもかねて、1度拠点を福岡市内に移し、環境を変えて社会人としてスタートしたいと思っています。でも、大学生活で築いてきたご縁は残したいと思っているので、飯塚にはちょくちょく戻ってきます。

そして、すぐにはムリかも知れないけれども、「高松歩美」としての活動も続けたいですね。  
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